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聞き手と話し手で成立する

長く訪問してきた利用者さんが卒業になりました。

自ら卒業を決断された失語症の利用者さん。

理由をたずねると「自分で、うまく言いきらんけど、もういいかなと思って」

十分な理由だと思いますよ。

ST水野です。

 

いろんな家庭を見ていると、「失語症の重症度」と「失語症家庭の日常の困り度」が必ずしも合致しないと感じることがあります。

失語症が同程度の重症度であっても、すごく困っている場合と、あまり困っていない場合があるからです。

 

Aさんのご家族

「家でのやりとりに困ることはほとんどないです。正しく言えなくても毎日いっしょにいたら何を言おうとしているか、だいたいわかってくるじゃないですか。その場で伝わらなくても、時間をおいて「あれな」と本人が言い出すこともあるし、こっちが「あれのこと?」とひらめくこともあるし。」

 

Bさんのご家族

「本人が話そうとしてもなかなかうまく言えないから、正しく言えるまで聞こえないふりすることもあります。いっしょにいても本人の言いたいことはほぼわかりませんから。本人も何回か言ってすぐあきらめてしまうし。最近認知症じゃないかと思うんですけどどうですか?」

 

ご家族のスタンスが違うのがわかります。

Aさんのご家族は「正しく言えること」を求めていません。

反対にBさんの家族の場合は「正しく言えること」が重要と考えています。

 

練習では「正しく言えること」を私も求めますが、日常の意思疎通では、正しく言えなくても、伝わればよいと考えます。

Bさんの家族は、その部分で考え方が違います。(すべてが間違っているわけではありません)

 

Bさんのようなケースにはご本人に対するアプローチとともに、ご家族にコミュニケーションの方法や失語症の知識などを丁寧にお伝えしていかなければなりません。

ことばで言えることより意思疎通を優先する方がよい場合が多いこと、失語症者は言えたり言えなかったり、同じ内容が理解できたりできなかったりすることがある、これは認知症とは違うこと。全部はわからなかったけどここまでは伝わったよとプラスのとらえ方をしてほしいこと。

 

Aさんの場合でも、始めからうまくいっていたのではなく、暮らしのなかで「ああ伝わった、よかった」「わかってあげられた、うれしい」の経験が積み重なっていった結果なのだと思います。失語症者と家族、お互いが自信をつけていっているように見えます。

 

コミュニケーションは、話し手、聞き手の両方がいて成り立つ、双方向のもの。

お互いの歩み寄りや努力が大事だなと思います。

これはどの家庭にもいえること、失語症の有無は関係ないのかもしれませんね。

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